諏訪原城 巨大な丸馬出の大きさに驚愕! ~まーるいお城めぐり(1)

2017年8月27日。お城仲間のみなさんと静岡県遠征。まーるいお城めぐりに行ってきました。
お城のどこかが「丸い」城。お城の構造ってカクカクしているだけじゃないんです。防御の手段として「丸」を使う場合があるんです。

まーるいお城 ラインナップ

  • 諏訪原城 (島田市)
  • 小山城 (榛原郡吉田町)
  • 田中城 (藤枝市)
  • 丸子城 (駿河区丸子)

 

どこかが丸いお城たち。丸馬出に三日月堀。田中城なんて敷地全体が丸い!
小山城、田中城、丸子城は2度目だけど、諏訪原城は今年の1月まで薬井門の復元工事を行っていたため、工事完了まで待っていました。満を持しての登城です。
今回はとっても丸くて大きかった諏訪原城です。

諏訪原城とは

諏訪原城のパンフレットをもとに解説すると・・・
天正元年(1573)に武田勝頼遠江侵攻の拠点とするために家臣の馬場美濃守信房に命じて牧之原台地に築かせた城。諏訪原城は駿河から遠江に向かう要衝の地にあり、高天神城攻略のために築かれました。
天正3年(1575)に徳川家康によって攻め落とされた後には牧之原城に改名され、今年の大河ドラマ「女城主 直虎」で大活躍(?)している尾上松也演じる今川氏真が城番になったこともあります。(その後にあっさりお役御免になってしまったけど。)
天正9年(1581)に高天神城が落城し、翌年に武田氏が滅亡するとこの城の必要性は無くなり、家康が関東に移ったこともあり、天正18年(1590)頃に廃城になったと伝えられています。20年ほどしか使われていない城でしたが丸馬出がしっかり残っています。
現在の諏訪原城は、日本最大級のお茶の名産地である牧之原台地に、武田流築城術を披露しまくりながらでーんと残っています。整備状態も良好で歩きやすく、「丸馬出って何?」というお城初心者にはおすすめな城です。復元された薬井門も当時の雰囲気をかもしだしていて見どころのひとつです。

諏訪原城 基本情報

  • 築城年:天正1年(1573年)
  • 築城者:武田勝頼
  • 種類:山城
  • 天守: -
  • 主なタイトル: -
  • 主な遺構:土塁、空堀、馬出。特にニノ曲輪の中馬出が見事。
  • 文化財指定: -
  • 所在地:静岡県島田市菊川1174番地
  • アクセス:栃木駅からバス/東北自動車道 栃木I.Cから車で約10分
  • 最寄駅:JR 金谷駅から徒歩約20分
  • 駐車場:あり
  • トイレ:諏訪原城ビジターセンターにあり。自販機もビジターセンターにあります。
  • 昼食場所:なし
  • 縄張図:案内図にあった縄張図がわかりやすかった。
    諏訪原城 案内図
    諏訪原城 案内図

 

 諏訪原城 見どころ

  • ニノ曲輪の中馬出はとにかく巨大!
  • ニノ曲輪の北馬出には復元された薬井門があります。
  • 諏訪原城が山城だということはニノ曲輪の北馬出から実感してください。富士山も見えます!
  • ニノ曲輪は整備されていないけど土塁を見に行くべし!

 

諏訪原城へ

やってきたよ。諏訪原城。行きたい行きたいと主張していたのだけど「整備中だからまだ待て」とずっとお預け食らっていました。2017年1月に薬井門の復元が完了するのを待ち、満を持しての城遠征です。
駐車場から歩いていくと、そこは茶畑!
諏訪原城 茶畑
諏訪原城 茶畑
城内で茶を栽培中。
駐車場の向かい側にはお茶屋さんがあるようだけど、この日はお休み。諏訪原城内で栽培されたお茶を購入できるそうです。飲んでみたかった。
諏訪原城パンフレット
諏訪原城パンフレット
旧東海道がすぐそばまで通っていたことも解説されているわかりやすいパンフでした。推定復元図もうれしい。
武家屋敷跡
武家屋敷跡
駐車場から歩いていくと、武家屋敷跡と案内のあったこの場所が大手曲輪。現代ではお茶畑になっています。
「大手北外堀」と案内もあり、堀跡もわかりました。
「浅野文庫諸国古城之図」遠江諏訪原
「浅野文庫諸国古城之図」遠江諏訪原
案内板にあった絵図は「浅野文庫諸国古城之図」遠江諏訪原。すごいな。虎口ごとに馬出。こんなにたくさん馬出があったのか!さらに大手曲輪もしっかり描かれている。

 

大手曲輪を越えて惣曲輪に入ってくると、おぉ。前方に何かあるぞ~。
遠くに薬井門が見える
遠くに薬井門が見える
あれが今年復元された薬医門か~。と、真っ先に目に入ったのが薬井門なのだけど、
じゃなくって!
手前に大きな丸馬出があった!!!

ニノ曲輪 巨大な中馬出

二の曲輪中馬出 三号堀
二の曲輪中馬出 三号堀
見よ!この丸馬出の大きさを!深くまるーく。堀底をカートでガーっと走るアトラクションがあってもよさそうなくらいの大規模な堀!
こんなに大きな三日月堀、初めて見た!💕
これは萌えるわ~♪
諏訪原城 丸馬出
諏訪原城 丸馬出
案内板によると、この三号掘は長さ70.0m。幅は14.5m。

よーく考えてみよう。

ここに来るまでにだいぶ車で登ってきたぞ。
標高約220m。こんなところにこれだけの土木工事を施したなんて!
武田、すげえな。と思っていたら、

ニノ曲輪 中馬出
西側前面に配された巨大な馬出。発掘成果などから、武田段階ではなく徳川段階に構築されたことが確実となっている。

週刊 日本の城より

マジか。

(前略) つまり、武田段階の城は、本曲輪とニノ曲輪南端部のみの範囲で、小規模で異質なニノ曲輪南馬出は武田段階の丸馬出と想定されよう。

週刊 日本の城より

再び、マジか。
丸子城しかり、新府城しかり、武田が手を入れた城でさらにそのあと武田はどの程度手を入れたのか?はわかっていないことが多い城も多いが、お前もだったか。諏訪原城。
諏訪原城の築城が1573年で、武田信玄が亡くなった年。翌年に高天神城陥落、さらにその翌年に長篠の戦い。この地にこの規模を作るのは年月的にもリソース的にも無理か・・・。
気を取り直して、中馬出のまわりをぐるっと歩いて先に進む。土橋の先には二の曲輪の北馬出です。

ニノ曲輪 北馬出と復元薬井門

二の曲輪北馬出
二の曲輪北馬出
門だけポツンと建っているけれど、今後、周りも整備されていくそうです。
復元された薬井門
復元された薬井門
この門の先は崖になって落ちている。車で来るときには少しずつ登ってきていることはわかっていたけど、改めて高いところにある「山城」なんだということがわかります。
二の曲輪の北馬出は北の端っこで、先は崖。門の向きに違和感はありませんか?聞いたところによると、惣曲輪から入ってきて、ヘアピンカーブ並みにUターンして中馬出に入っていくための門だったようです。城外から直接出入りするための門ではないのね。そして北馬出は中馬出への入口にかぶせてある重馬出(かさねうまだし)であるわけで。ニノ曲輪に入るためには
  • 惣曲輪→ニノ曲輪北馬出でヘアピンカーブを通って薬井門→土橋を渡って中馬出→土橋を渡ってニノ曲輪

と、ものすごく技巧的なのね。

改めてすごい土木量だ。
改めてすごい土木量だ。
堀と堀の間を歩く。
城内最大の横堀
城内最大の横堀
左奥に薬医門。中央が城内最大の横堀。向かって右が二ノ曲輪。この二号堀がとにかく幅広くて深い。長さ72.5m。幅は14.5mもある。写真では伝わらないのが残念。
二の曲輪を横切って本曲輪へ向かう。

ニノ曲輪

ニノ曲輪 遠くに土塁
ニノ曲輪 遠くに土塁
8月の諏訪原城の二の曲輪はさすがに見通しが悪く。そんな中でも奥に一段高い場所が。二の曲輪を仕切る土塁です。仕切りの土塁の規模が大きい!ニノ曲輪は縦長で、中馬出から入ってきた場合、大手馬出から入ってきた場合にそれぞれその先を見せないための目隠しも兼ねていたのであろうか。
二の曲輪と本曲輪を仕切る五号堀
二の曲輪と本曲輪を仕切る五号堀
ニノ曲輪と本曲輪を仕切る堀もこれまた立派。
ここから先は本曲輪。本曲輪では素敵な出会いがありました。
諏訪原城 丸馬出
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