2023年の大河ドラマ『どうする家康』を勝手に応援企画!
『どうする家康』の聖地“潤”礼の旅。
三河一向一揆編は更新完了しましたが、この城も取り上げなければいけない。
『どうする家康』では「第5話 瀬名奪還作戦」に出てきた上ノ郷城。今川方の鵜殿長照が城主を務めていました。
第5話の放送前日に上ノ郷城の手前、距離にして車で5~6分のところにある竹谷城までは行っていたのです! スケジューリングしてくれたお仲間さんが日程的に難しいと泣く泣く候補から外したその翌日の放送で「まさか上ノ郷城が取り上げられるとは!」と一同騒然。 リベンジしてきましたよ!
上ノ郷城とは
鵜殿氏が本拠としていたということもあって上ノ郷城の別名は「鵜殿城」。「神ノ郷城」という呼び方もあるようだ。
鵜殿氏は戦国時代には蒲郡を支配していて、現在の蒲郡市内にある下記の城に一族の人間を配置していました。
- 上ノ郷城 鵜殿氏の本拠
- 下ノ郷城 現在の蒲郡高校あたり
- 不相城 蒲郡クラシックホテル
- 柏原城 蒲郡市柏原原町
※「蒲郡市 蒲郡市博物館 上ノ郷城」より引用。
鵜殿氏は今川方でしたが、長照の母親が今川氏親の娘であり、今川義元とは義理の兄弟、氏真とは甥と叔父ということで親戚関係でもある。そのため今川への忠誠心が強く、三河統一を進める松平元康(のちの徳川家康)にとっては早めに叩いておきたい国人衆。元康は上ノ郷城攻めに時間がかかることを見据えて忍者を城内に放って付け火をさせ、その混乱に乗じて攻め落としたというのは『どうする家康』でドラマチックに描かれていました。鵜殿氏の迎撃により討たれて死んでいるように見えた忍者たちがゾンビのように復活して夜襲をかけていましたが、忍者が関わっていたということはフィクションとは言いきれないのですね。
なお、『あいち武将観光ガイドブック』の上ノ郷城の解説によると、
家康は城攻めに服部半蔵の父と伊賀忍者を使ったという。若き服部半蔵も初陣を果たしている。
ということで、ドラマのように服部半蔵も絡んでいたのね!
上ノ郷城 立地について
戦国時代の上ノ郷城は周囲を断崖に囲まれ、近くを流れる兼京川を堀として使用した天然の要害。上ノ郷城の南西側に今も残る熊ヶ池は上ノ郷城の堀の一部と言われています。熊ヶ池には、「落城の際、姫が紅をさして池に身を投げたため、この池の田螺(タニシ)は口紅をさすようになった」という伝承が残っているそうです。
上ノ郷城 縄張図
上ノ郷城の駐車場の案内版に掲載されている縄張図より。「現在地」とあるのが駐車場で、駐車場からの行き方もわかりやすいので初めての人はこれをもとに歩きましょう。
鵜殿氏の本家の城ということで、どんだけ大きかったのか!?と楽しみにしていたのだけど、意外と小ぶりでシンプル。
と思ったら、この縄張図の左下にある熊ヶ池は堀の名残。駐車場の案内版にあった『諸国古城之図』を見ると主郭周辺だけでなく、さらに南北に郭があり、水堀で囲まれているということがわかります。
「諸国古城之図」では描かれていないけれど、主郭は東西と二段構造となっていて西側が一段高くなっている。
主郭の東側の下に東郭があり、ここの切岸がいい! 主郭の北側にも郭があり、発掘調査では岩盤を削って平坦面を作っていて、郭の幅は4~5mということだから、帯曲輪みたいな感じだったのでしょうね。郭のふちには柱穴が並んでいたそうです。
図にあるIIの曲輪の手前の土塁が高く、土塁の上に上ノ郷城の城址碑があるのだけど、木は生い茂っているし土塁は高くて前だけ見ていると気付きにくいのでお忘れなく!
上ノ郷城へ
ものすごく狭い道を少しずつ切り返しながら上ノ郷城の駐車場へ到着。本来は赤日子神社の駐車場なので神社利用の方が優先となります。
駐車場には上ノ郷城の案内版があって、縄張図を写メって出発!
駐車場からは上ノ郷城の看板が見える。「看板と実際の城は別」なところもあるけど、ここはきちんと「看板=城」で、看板がある場所が主郭です。
上ノ郷城の看板発見!この細い道を入っていく。
土塁と城址碑
まず目に入ってくる高まり。右の反対側の右側は畑になっているけれど、左側はうん、土塁だね。
土塁の横を通って主郭を目指すのだけど、まずは土塁の上に登って城址碑をチェック。
撮影しながら最後尾を歩いていたワタシ以外は皆、素通りしてしまった城址碑。木が刈られていないと気づきにくいのでお忘れなく!
二の郭
土塁の右横を通過して二の郭へ。ミカン畑になっているところは歩かないように整備された道を歩きます。
ニの郭をまっすぐ横切って少し高くなった階段状の道を登って主郭へ向かう。
主郭への登り口から振り返って撮影。中央よりやや右に石碑が立っているのがわかります? あそこが土塁なわけです。
二の郭はほとんど畑なので素通りして主郭へ。主郭の虎口へ向かって登る前に二の郭との向かいに開けたスペースが「東郭」がありました。
東郭
二の曲輪の向かい、東側にあるのが東郭。
郭の右側に「上ノ郷城」の看板があるので入って良いと思うのだけど、あいにくこの日は大雨。生えている草にたまった雨水で裾がドロドロに汚れそうだったので侵入せず。それにしても左側の主郭の切岸が見事だな!
東郭は発掘調査が入っていて、そのときの写真が蒲郡市博物館の企画展示「家康と戦った城 家康を支えた城」で掲示されていました。上ノ郷城に行く前にたまたま立ち寄っていて良かった!
東郭からは岩盤を削って造られた堀が見つかっていて、かつては城の東側を巡らせていました。最終的にはこの堀を埋めて郭にしたということで、その堀の幅は約7mもあったそうです。さらに堀の深さは主郭から10m!現在の東郭から主郭の高さは私の推定で5mくらいに思えたので、さらに5m掘られていたとしたら堀からは主郭は絶対登れない!当時の土木技術からすると「難攻不落」の城だったのかもしれない。
主郭へ向かいます。
>>上ノ郷城 主郭編へ続く