鞠智城 八角形鼓楼に古代ロマンの思いを馳せる ~島原・天草の城めぐり(25)

発掘調査の結果、72棟の建物が跡が出てきたということだけど、建物の復元や礎石を観られるのはほんの一部。今の鞠智城はぽつんぽつんとしか建物がないのだけど、この敷地内に72棟もの数の建物があったと言われると納得。これだけしか建物が無かったらそれはそれで不自然だよな。

米倉

米など食料を保管した倉庫。すぐ隣に礎石のみが並んでいる。このエリアからは礎石建物群が発掘されていて、周辺からは大量の炭化米が出てきたことから、1棟を米倉として復元しました。

鞠智城 米蔵
米蔵

鼓楼が掘立柱建物だったことに対し、この倉庫エリアは礎石建物。柱を支えるための石を置き、その上に柱を立てて建物を造っていました。

鞠智城 米倉
古代の建物の特徴 校倉造

正倉院で歴史の資料集でよく出てきた高床式の校倉造(あぜくらづくり)で再現されています。校倉造の特徴である「ねずみ返し」がついていますね。

鞠智城
米蔵の中

 

鞠智城 米倉
西日の当たる米倉

 

兵舎

八角形鼓楼跡から眺めたところ。写真の左奥に見える長細い建物が兵舎
それにしても広い。中世城郭なら間に堀と土塁を作って曲輪が2つに分かれてるくらいの規模感。

鞠智城 兵舎
八角形鼓楼の奥に見える兵舎

 

鞠智城 兵舎
2つの建物跡が検出された兵舎

とにかく広い。このエリアからは横長の建物跡が2つ検出されました。そのうちの1つを復元しています。

 

鞠智城 兵舎と板倉
兵舎と奥に見えるのが板倉(武器庫)

防人(さきもり)として兵役についていた人たちが寝泊まりしていた「かまぼこ型の兵舎」があったと考えられている。建物の規模が大きく、さらに高床式じゃなかったりすることを考えると、やっぱり兵舎なんだろうなぁ。兵士の数でいうと、50人くらいが生活していたと考えられるらしい。
確かに大きいけれど、2段ベッドでもない限り、50人はプライベートスペースが全くなく、長期間はしんどいよな。

鞠智城 復元された兵舎
兵舎の中は資料展示スペースになっている

現在の兵舎は鞠智城や古代山城の資料展示スペースになっている。

鞠智城 兵舎
古代山城についての資料展示スペース

パネル展示のみなのだけど、詳しくかつ、わかりやすい。歴史公園鞠智城温故創生館が発行している「古代山城紹介パンフレット 発見☆古代山城」が置いてあり、子どもでもわかりやすい文章で写真も多く、一部お持ち帰りしてきました。

けっこう歩いてきたなぁ。
望楼があったとされる北の端の「涼みヶ御所」まではまだ半分くらい。

 

板倉

兵舎の奥にあるのが板倉。武器を保管した倉庫の復元建物です。

鞠智城 板倉
板倉

 

>> 宮野礎石と西側までとにかく歩いて行ってみる

鞠智城
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