コンパクトなのに意外と横堀が大きな丁野山城。主郭の南側を下って谷田神社のほうに向かおうと進むと、最後に大堀切が出てきました!
丁野山城 続き
主郭南側の大堀切
河毛駅を目指して主郭の南側を下りていくのだけど、油断していた。
「大堀切」の案内が見えてきた!
看板から右側に堀切が横たわっている。
主郭からは数段下がってきたはずなのだけれど、まださらに高低差をつけているのね。
「大堀切」とあるが、たいしたことないじゃん、と思うそこのあなた!
このコンパクトな城の規模感からでは小さくはないのよ。大堀切と名付けたいのもわかる。
そして大堀切とは食い違うように南東側に竪堀が伸びているのだけど、わかりにくいい写真だったので割愛します。
竪堀と大堀切で道を狭める作戦か。うむ。コンパクトな城ではあるけれど、簡単に主郭に上がれないようになっている。
大堀切越しに主郭方面を眺めたところ。主郭目指して大堀切に突っ込んだら上からやられまくりだな!
ということで、これで本当に丁野山城の散策は終わり。
大堀切から時間にして約5分で標高差50m弱を一気に下りました。
丁野山城の西側の登山口にある谷田神社(弥勒寺跡)へ到着。
現地の案内板によると、かつては弥勒寺があって、その本堂が谷田神社の拝殿として使用されているそうです。
谷田神社の入口。逆コースをたどる場合でも「丁野山城 山頂へ」の案内板があって登山口もわかりやすい。ただこの道から上がっていくと登山道ではあるものの少々荒れた道なので南東側の大堀切に達するまではちょっと不安になるかもです。
その後の丁野山城
織田信長が小谷城に攻め込んできたとき、丁野山城には300の兵が立て籠もっていたという。天正元年(1573年)8月12日の織田方500の兵からの攻撃によって籠っていた玉泉坊は降伏。丁野山城は落城し、その後は廃城になったと考えられています。
丁野山城 散策ログ
中島城との分岐から谷田神社の鳥居まで約30分の城跡散歩。
中島城からは整備された500段の階段を一気に登ることになるのですが、東京から駆けつけてこの日3城目としては、なかなかの運動量になりました。
・滋賀県教育委員会 小谷城跡をめぐる城々