丁野山城
丁野山城とは
「丁野山城」と書いて「ようのやまじょう」や「ようろやまじょう」と読む。
小谷城の西に築かれた城で、築城のいきさつは明らかではないものの、その位置関係から小谷城の防衛のために浅井氏(浅井亮政とも)によって築かれたと考えられている。
元亀争乱の際には朝倉氏が援軍として越前から派遣した平泉寺玉泉坊が入ったと伝えられている。天正元年(1573年)8月12日の織田方からの攻撃によって玉泉坊は降伏。丁野山城は落城し、その後は廃城となった。
丁野山城 立地について
小谷城の真西にある「岡山」という小山に築かれた城で、丁野山城、中島城、大鳳山砦と連なっている。案内板にある「丁野岡山古砦之図」によると、北の尾根には明治時代まで八幡宮があったので「八幡ノ岡」と呼ばれるエリアがあり(残念ながら土砂採取のため消失)、北東の尾根は山王御権現があったため「山王台」、東野尾根を「大鳳山」南の尾根が「山脇山」につながっている。
丁野山城の西側には高時川が流れていて、東側は湿地帯でした。私のログを見ると標高170m程度で比高60m程度の山でしたが、天然の要害といってもよいでしょう。
丁野山城 縄張図
丁野山城の縄張はまるで「瞳」のような形。主郭のまわりを横堀で囲み、丁野山城に入ってくるであろう南北の尾根は堀切が築かれている。
今回は中島城側から登ったので、下記の縄張図でいうと右下から真ん中に向かう道から入り、そのまま主郭へ。主郭の周りをぐるっとまわり、さらに図の右側(北側)の堀切に入って犬走りを通って左側(南側)へと、2周しました。
丁野山城 見どころまとめ
- 主郭の周りを巡らせた横堀は見事!
- 主郭の両サイドに築かれた堀切。特に南側の堀切は「大堀切」と呼ばれている。埋まっているのだろうが、この規模の城にしては十分な幅だといえる。
丁野山城 基本情報
- 築城年:永正15年(1518年)? 永正10年(1513年)?
- 廃城年:天正元年(1573年)か?
- 築城者:浅井氏 (浅井亮政?)
- 種類:山城 というか丘城?
- 天守:なし
- 主なタイトル:-
- 主な遺構:曲輪、横堀(空堀)
- 文化財指定:-
- 所在地:愛知県蒲郡市神ノ郷町城山36 の周辺
- アクセス:JR河毛駅から谷田神社(弥勒寺跡)まで徒歩10分。中島城から向かう場合は中島城との分岐から主郭を経由して谷田神社の入口までは25分弱。
- 駐車場:なし
- トイレ:なし
- 売店・食事処など:なし
- 女子城メグラー 難易度:★★★★☆
JR河毛駅から谷田神社までは徒歩10分と駅近物件な丁野山城。この城のみでなく、中島城はセットでまわりたい。余力があるなら「虎姫駅→虎御前山城→中島城の入口→大鳳山砦経由で中島城→丁野山城→河毛駅」のコースだと、間に虎御前山城でのお昼タイムを入れても4時間でまわれます。登城路は整備されていて歩きやすいが谷田神社側から登ると若干荒れ気味で南東の大堀切にたどり着くまでにはちょっと不安になるかも。中島城側、谷田神社側のどちらからきても登ることになるので最低でもスニーカー、ローカットの登山靴ぐらいがちょうどよいくらい。最低限の案内はあるので女性ひとりでもまわりやすいです。 - 登城日:2023年4月29日
丁野山城 城めぐり記録
- 2023年12月2日
- 2023年12月2日
丁野山城 元亀争乱の城めぐり 最終章
元亀争乱にまつわる城めぐり。最後は丁野山城です。 登ったり降りたりと、コンパクトでまわりやすいけれど遺構もしっかり残った城でした。 丁野山城とは 「丁野山城」と書いて「ようのやまじょう」や「ようろやまじょう」と読む。 小谷城の西に築かれた城で、築城のいきさつは明らかではないものの […]