福島県 二本松城編の続きです。本丸に到着し、天守台を探索します。
待ちに待った本丸へ。ここまで長かった!
二本松城 本丸
本丸の石垣が見えてきた。すごいな。これがそのまま天守台かと思うほど立派。
1985年に復元整備された本丸の石垣。周りの木々を駆られたのは平成になってからなのかな?地元の人でもこの石垣には気づかなかった人もいたようで、母方のお墓が二本松駅を挟んだ反対側の山の上にあり、そこから二本松城の本丸の石垣が見えるのだけど、法事で二本松の親族が久々に集まった時に「あれ?あんな山の上に石垣があったっけ?」という話になりました。「あれはね、本丸の石垣でね、天守台の石垣とともに昭和の時代に復元整備されたのよ」と、語り始める東京在住者(笑。
思った以上にカクカクしているぞ。こんな山の上を整地して平場を確保するのは大変だったでしょう。石垣は立派だけど、山城だった名残が感じられる。
二本松城の標高は345m。岐阜城の標高は329m。竹田城は標高353m。比高でないと山城のすごさは測りにくいけど、標高だけでいうと竹田城並みか。みなさん、竹田城並みのところを登るとこんな素敵なご褒美があるのですよー!
本丸石垣の側面。再建とはいえ、迫力のある高石垣なのだ。
ワクワクしながら石段を登る。地元でだったとはいえ、城に興味が無い家族を連れて本丸まではさすがに登れないので、実は本丸まで上がってきたのは初めて。どんな天守が建っていたんだろうなぁ。
天守台は1995年に再建されたので、ワタシが子どものころにはありませんでした。よくぞ再建してくれた!!!
石段を上がる。ここは右に折れる枡形虎口。
本丸の桝形虎口を右に入り、いよいよ本丸へ。
虎口の両側に土塀があって、狭間とかあったのかしら。妄想がすすむわぁ~💕。
本丸は四角ではなく、不規則な五角形といった感じ。本丸に入ってすぐ右に東櫓台があるのだけど、登城路に対して斜めから攻撃が仕掛けられるようになっています。
天守台へ
写真の右側にあるのが天守台です。天守台があるのは標高345mのところ。周りは何もさえぎるものが無く、城内で一番高いところにあり、周りを見渡すことができてとっても見晴らしが良いのです。
右に東櫓台、奥に天守台、左に西櫓台。
天守は建てられなかったらしいけど、天守と櫓がつながっている連立式天守を想定して設計されたのでは?と考えられているそうな。
天守台の上り口付近に何かがある。
丹羽和左衛門(66歳 城代) 安部井又之丞(65歳 勘定奉行) 自尽の碑
案内板によると、慶応4年(1868年)7月29日の戊辰戦争による二本松城落城の際に自尽(割腹)した2人の供養碑だそうです。
丹羽の自尽の様子は、床几(しょうぎ 腰掛け)に腰をおろし、軍扇を膝の上に広げ、
割腹したのち内臓を軍扇の上につかみ出し、前屈みになって絶命した、と伝えられています。
壮絶。
しかもこのお二人、結構な年齢。この場に碑があるということは、おそらくこの戦で指揮を執っていたくらいの人なのでしょう。
江戸時代で60歳を越えているって、今でいう80歳以上なんじゃないの!?
この時には城主の丹羽長国は米沢に脱出していたようです。城主を逃がしつつ、老人も駆り出されるほど人手不足だったというエピソードにリアリティが出てくる。
行くとよくわかるけど、この天守台がある場所が城内で一番高いところにあるわけで。あちこちで戦火があがるのを見ているってどんな気分だったんだろうな。
写真の左側に写るのは東櫓台。
二本松城は天守台とその下の本丸部分も含めて江戸城の天守台の広さって感じかな。それでもこの山の高さでこの本丸のポジショニング。よくも作ったなぁと思います。
そして天守台から見た風景。暑い日だったけど曇っていて残念。ほんとうに見晴らしがよいのよ!
正面に見えるのは安達太良山。智恵子抄の高村智恵子が「阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空がほんとの空」といった安達太良山です。
地元では乳首山(ちちくびやま)と呼ばれている独特のフォルム。それっぽいでしょ?
郡山駅から二本松駅に向かう東北本線の中からも見えるので、電車で来るときにはぜひ探してくださいな。
そしてもうひとつ、本丸にあるのが西櫓台。西櫓台には上れたような気もするけど、もう、力尽きた・・・🤣。
退却しますっ! さようなら。本丸・・・。
すごく疲れているけど、それでもやっぱり枡形虎口が素敵。あぁ。櫓と入口の門が建っている様子が想像できちゃう💕。
二本松城下が見える。ここまで登って谷を降りてまた登ってきたわけで。けっこう歩いてきたものだ。
さて、二本松城はこれで終わりではない。最後の見どころが残っているのだ。
本丸は石垣の宝庫なのです
本丸の石垣は、ぜひ、まわりをぐるっと周って見てみてください。発掘によって石の積み方がわかった場所は、その時代の通りに積み直されています。
慶長様式、元和様式、寛永様式、江戸後半様式。消失していた部分は江戸後半様式で積まれているそうです。
慶長様式というのは穴太積み。特に虎口に向かって左側には慶長初期の会津領主の蒲生氏郷が二本松城の築城時に初めて築いた頃の旧石垣と、のちの会津領主の加藤氏が修築&拡張した寛永初期の石垣が混在しているそうです。
現在は史跡保存のため、旧石垣については埋め戻されたそうだけど、拡張に拡張を重ねた様子が本丸石垣を一周するとわかるかも!?
でもワタシは力尽きた・・・。今度来るときは二本松駅からタクシーだ!
二本松城最大の見どころ 本丸直下の野面積み石垣
そして今回の旅の最大の楽しみ。本丸石垣の真下へ。
二本松城に築かれた最も古い石垣のうちのひとつ。野面石(加工していない天然石のこと)と荒割石が使われています。草に覆われているものの、この下には野面積みの石垣が隠されているっ!
案内パンフによると
穴太積みで積まれていて、大小の石材をレンガのように横積みし、数石しか”横眼地(よこめじ)”を通させない「布積み崩し」。
二本松城が会津の支城になった慶長初期頃、蒲生氏郷に召し抱えられた城郭石積み技能者集団「穴太衆」によって築かれた石垣
穴太衆、ここまでやって来たのね。
本丸石垣の真下から。この写真が一番わかりやすいかな。
草まみれで写真ではわかりにくいんだけど、それがまた「埋もれていた城」っぽさを醸しだすねぇ。
本丸直下の大石垣で残っているのは幅が約15m、高さ約13m。
箕輪門の石垣と比較すると、建てられた時代がまったく違うというのがわかってもらえるかな?
この野面積みの石垣は圧巻です。知らないで通り過ぎちゃうともったいない!
いま、この記事をリライトしている2021年現在は本丸下のこの石垣を降りて見られるかわからないけど、もし降りられるならぜひ見てください!必見ですぞ。
二本松城は中世の山城&近世の城の雰囲気が味わえる、一粒で二度おいしい、石垣好きにはたまらん💕お城。ぜひ、体力の余裕があるときにじっくりまわって見てください。
二本松グルメ編に続きます
二本松城に行くなら おすすめの本
まっぷる 福島 会津・磐梯’22
まっぷるは本と連動したアプリもあって便利!二本松は情報が少ないけど、ガイドブックで情報収集♪震災後、二本松駅のすぐそばに移転してきたなみえ焼そばのお店はおいしいですよ!
二本松藩 (シリーズ藩物語)
二本松藩についてもっと知りたくなったらこの本がおすすめ!
領主や藩の歴史だけでなく領民の暮らしや起こった事件など、藩の歴史が様々な角度でつづられています。
二本松城に行くなら おすすめなホテル
アーバンホテル二本松
二本松駅のすぐそばにあるビジネスホテル。二本松は岳温泉まで行けば温泉宿に泊まれますが駅の周辺にはホテルが少ない。何かイベントごとが重なると満室になっちゃうので予約はお早めに!近くにコンビニもあります。
岳温泉 鏡が池碧山亭
岳温泉の中で唯一、鏡が池に面したホテル。湖畔の朝の散歩は快適です。温泉は全国的にも珍しい弱酸性のかけ流し♨。ライトアップされた露天風呂も素敵です。食事がとにかくおいしかった!