2023年の大河ドラマ『どうする家康』を勝手に応援企画!
2023年1月。『どうする家康』の聖地“潤”礼で松平元康が第3話で攻め込んだ東条吉良家の城が東条城。その東条城を落とすべく築いた砦が前述した友国砦とこの小牧砦です。
小牧砦の名前は『どうする家康』では出てこなかったですが、東条城攻めでは重要な本陣を置いた砦。本陣を置いたということは松平元康がいたに違いない! ということで聖地巡礼では必須な砦なんです。
小牧砦とは
永禄4年(1561)年。三河平定を薦めていた松平元康は小牧砦を築いて本陣を置き、自らここから出陣して東条城を攻め落としました。
東条城落城の後にこの地は本多豊後守広孝の所領となり、居館を構えて地頭役人を置いたのですが、江戸時代には小牧陣屋として形態を変えて続き、明治維新まで残りました。
小牧砦 立地について
東条城の南西にあり、東条城までは歩いて20分弱という近さ!
友国砦があった小山とは異なり平野にある小牧砦。しかも友国砦より近くにあり、あまりの近さに驚き。
元康、ここから出陣したんか!平地に本陣を置くなんて、近すぎて怖いなぁ。

小牧砦 縄張図
小牧砦の縄張図はありません。
小牧砦 見どころ
- 戦国時代の陣跡と江戸時代の陣屋跡が共存する場所。遺構がないのが残念だが、現地の案内版が詳しいので気分は味わえる。
小牧砦へ
友国砦に立ち寄った後にやってきました小牧砦。まわりは住宅地なのでよくわからなかったけれど、実は徐々に東条城に近づいていました。東条城までは徒歩20分の距離。なんという近さだ!


入口には「小牧陣屋」の案内がかけられている。陣屋としての資料は残っているのだけど、その後この地は居館が築かれた地頭が置かれたのちに江戸時代には代官所となり、その間、建て替えられたりしているため、小牧砦としての名残は無い。


小牧陣屋の案内版の中にわずかに記される小牧砦の解説。
松平元康目線で眺めた東条城
小牧砦は平野にある平城なので周りを眺めても東条城の一は確認できなかったけれど、Google Mapの3D表示で見ると距離感や雰囲気がわかります。

直線距離で畑6個分くらい?近い。めちゃくちゃ近いぞ!
そしてさらに東条城にクローズアップ。小牧砦から進んできた想定からの目線で。「櫓門」とある右側が一番高いところにある主郭。一段下がった真ん中が三の曲輪、さらに一段下がって帯曲輪です。

『どうする家康』第3話で東条城が炎上しているシーンでは横に長い小山な城だったけど、うむ。この目線だと3話の炎上シーンのように見えますね。
その後の小牧砦・・・小牧陣屋へ
現地の案内版によると、小牧砦は東条城の落城後は本多広孝の所領となり、居館をかまえて地頭役人を置いたという。
江戸時代には小牧陣屋となっていくわけですが、一万三千石もあり、代官役所としては規模は大きかったようです。

まぁ、立派な表門ですこと。
我々のいた「小牧陣屋跡」は、裏門付近であり、はちょうど左端で見切れてますな。
そしてこちらが小牧陣屋の平面図。どんな建物があったかが詳細に書き起こされています。

元になった建物配置図なのかな?こういう絵図を残してくれてありがとう!

そして現在地がどこなのかをプロットすると、赤丸で囲んだこの場所。
小牧陣屋の地図と現在の地図を重ね合わせると、現在小牧陣屋があるところはY字型になっているところ。すぐ近くに裏門があり、南から東にかけて広がっていました。
すなわち、実際のアングルはこうだ!

写真は現在の「小牧陣屋」の中から外に向かって撮影したところ。この写真のアングルで陣屋の敷地が広がっていたようです。
小牧砦→居館→陣屋と遷移し、明治維新まで残った小牧陣屋。それだけ重要な場所ということで、交通の要所としておさえておくべき場所だったんでしょうね。
小牧砦 基本情報
- 築城年:永禄4年(1561年)
- 廃城年:かたちをかえて明治維新まで存続
- 築城主:松平元康
- 種類:平城
- 天守:なし
- 主なタイトル:-
- 主な遺構:なし
- 文化財指定:-
- 所在地:愛知県西尾市吉良町小牧郷後34
- アクセス:名鉄西尾線上横須賀駅から徒歩13分。
- 駐車場:なし
- トイレ:なし
- 売店・食事処など:なし
- 女子城メグラー 難易度:★★★★★
名鉄の上横須賀駅からは徒歩13分という近さ。遺構はないが、東条城から小牧砦は徒歩20分なので、時間があるなら歩いていき、東条城の三の曲輪でコンビニ弁当ランチもおすすめ。周辺にはお店も少ないので昼食は駅前のコンビニで調達すべし。
なお、友国砦までは徒歩20分で行けますが、一気にまわるのはさすがに疲れるかも。どちらかを選べというのなら、「東条城+小牧砦・小牧陣屋」をお勧めします。
小牧砦 散策ログ
散策ログはありません。