『どうする家康』聖地巡礼㉒ 小谷城後編 大堀切から山王丸までを歩く

小谷城編、小丸跡からさらに登る。帰りのシャトルバスまで間に合うか!?

小丸跡

京極丸の一段上にある郭、小丸跡は東西に三段構えになっていて、東側が一番高い。位が高い人の居住エリアはその作りから東がからの2段までのようで、浅井長政の父である浅井久政が家督を長政に譲ったのちに隠居して住んでいました。
ここで久政が自刃したと伝わっているが、それは一番高い東側では?と考えられているようだ。

小谷城 小丸
小谷城 小丸

小丸は山王丸と京極丸の間にある郭で、京極丸と比べるとさほど大きな郭ではない。

小谷城 京極丸・小丸の案内図
小谷城 京極丸・小丸の案内図
小谷城 小丸
小谷城 小丸の碑

写真の右側の高まりを進むと小丸の上段。

小谷城 山王丸へ
山王丸を目指します

浅井久政は49歳、浅井長政は29歳で亡くなっている。どちらも若すぎますよね。

 

山王丸

小丸のその先をさらに目指す。今回の旅はこの山王丸が終着点の予定。山王丸は小谷城の東側の尾根にある郭では最後で詰めの丸となる。かつては山王権現が祀られていたため山王丸と呼ばれていた。

本丸から大堀切、中丸、京極丸、小丸、山王丸まで20分弱で一気に巡りました。小丸跡からさらに少し登ると山王丸の石垣が見えてくる。

小谷城 山王丸
山王丸の石垣

虎口は登ってきたところからすこし右に入り、これまた虎口は正面にある。写真の看板を見ると右に「至 大石垣 50m」とある。今、立っているこの部分が山王丸の解説図にある「馬出し」だと思われる。

実は本丸以降の北の郭群の見どころは、本丸裏の大堀切、そして山王丸の東側の石垣と2つあり、山王丸まで行けると思わなかったので下調べをしておらず、大石垣を見逃してしまった!
山王丸の東側に回り込めば、こんな残りの良い石垣が見られたというのに・・・残念すぎる。

小谷城 山王丸東側の石垣
「小谷城跡をめぐる城々」P.11より

 

山王丸の残りが良い東側の大石垣は置いといて、虎口や西側は自然崩落ではなく破却だな。めちゃくちゃになっていて、石がゴロゴロしているけれど、虎口は切り込まれて中に入っていくように作られている。
虎口のまわりは巨石がゴロゴロとあるけれど、特に虎口に入りきる直前の左側の石が大きい!破城の痕跡含めてすごいぞ、小谷城。

小谷城 山王丸の虎口
破壊されている山王丸の虎口

そしてさらに進むとまた虎口。これは高さはあまりないけれど、また内側に切り込むような状態となっている。

小谷城 山王丸
小谷城 山王丸

山王丸に到着!

小谷城 山王丸
山王丸に到着!

この奥にも郭が続いているが、案内版によると山王丸は4段から成り立っていて、詰めの丸とされているだけあって、山王丸から清水谷に向けて搦め手道が描かれているそうな。というのだけど、いろんな資料や復元図などを見ると、山王丸を出て下り、どちらかというと六坊から道が出ているように見える。はてさてどう考えるべきか!?

小谷城 山王丸 案内図
小谷城 山王丸 案内図

ちなみにその六坊は山王丸跡の案内版からはさらに250m先となる。

小谷城 山王丸跡
ここから六坊まではさらに250m歩く
小谷城 山王丸
小谷城 山王丸

山王丸からもう少しに行けるかなと散策してみたら・・・

小谷城 山王丸の北側
小谷城 山王丸の北側

おぉ。ここから先はいったん下るのか!

ここから先に行くとなると、山王丸までいったん登ることになるし、お迎えのバスで帰るにはギリギリになりそう。ということで今回の散策は山王丸の裏を確認することで完了としました。

 

その後の小谷城

小谷城は3年間耐えていましたが、とうとう天正元年(1573年)に落城。きっかけは羽柴秀吉がまさかの清水谷から登り京極丸を占拠し、本丸にいた浅井長政、小丸にいた父の浅井久政を分断したこと。久政は小丸で自刃。本丸裏の大堀切で両者は膠着状態になったものの、長政が本丸を出て勝負した隙を逃さず秀吉軍が本丸を落とし、本丸に戻れなくなった長政は赤尾屋敷で自刃。長政の妻であるお市の方と三人の娘は城を脱出し、秀吉に救出されました。

その後、浅井領は羽柴秀吉に与えられ、秀吉はいったん小谷城に入ったものの、場所の悪さから小谷城を出ました。北国街道をおさえつつ琵琶湖にも面して港もあるという抜群の立地だった今浜に築城(長浜城)して移り住み、小谷城は廃城となりました。

 

小谷城 基本情報

  • 築城年:永正13年(1516年)?
  • 廃城年:天正3年(1516年)
  • 築城者:浅井亮政
  • 種類:山城
  • 天守:天守か鐘楼的な建物が本丸にあったと考えられている
  • 主なタイトル:日本100名城
  • 主な遺構:曲輪、土塁、竪堀、堀切、切岸、井戸
  • 文化財指定:国指定史跡
  • 所在地:滋賀県長浜市湖北町伊部
  • アクセス
    小谷城戦国歴史資料館:JR北陸線河毛駅から徒歩約30分/河毛駅よりレンタサイクルで約15分
    小谷城戦国ガイドステーション(シャトルバス発着地):JR河毛駅からタクシーで約10分(要事前予約)/ JR河毛駅からレンタサイクル20分
    ※シャトルバスが運行しない日は、車で番所跡の手前まで登れる
  • 駐車場:あり(番所跡手前 ) 戦国ガイドステーション(シャトルバス発着地)にも駐車場あり。
  • トイレ:私が行ったときにあったかどうかわからないけど、番所付近にあるらしい。戦国歴史資料館か戦国ガイドステーションですませておいたほうがよいです。
  • 売店・食事処など:なし ベンチもなく、本丸までは人も多いのでレジャーシート持参でお昼もしづらいです。
  • 女子城メグラー 難易度:★★★★☆(本丸までの場合)
    車で移動しているのであれば、番所まで車で行くか、戦国ガイドステーションの駐車場に停めれば楽ちん、そこから先は本丸までは整備されているので破却された虎口も含めて散策しやすい山城。山王丸から先は観光客は行かず、人も減るので熊にも要注意。ちょいちょい熊の目撃談があります。
    大嶽城までの道のりは長く、道幅も狭くなって草木が刈られている程度のところもあるので登山装備必須。最後の最後でけっこう登ります。写真を丁寧に撮ったりと時間がかかる場合は長丁場になるので行動食も忘れずに!トータルのおすすめコメントとしては、

    • 本丸までなら難易度は×4。本丸まででも十分に山城の雰囲気は味わえます。駅近ではないのでマイナス×1
    • 大獄城までなら難易度は×2、大獄城からさらに先の西側の郭(山崎丸)経由でふもとまで下りるなら×1

遺構の残り具合、道や高さなど歩きやすさの難易度というより熊出没の危険性が問題。女子一人で初めて行くならシャトルバスで団体行動をするか、ソロ城めぐりなら本丸裏の大堀切にするなど判断してください。

  • 登城日:2018年7月14日

 

小谷城 散策ログ

シャトルバスで番所跡の手前まで送ってもらい、本丸までのツアーに参加。本丸からはガイドと一緒には戻らず、次のバスで帰ることを伝えて了承。(真夏なので人も少なめだったのでOKもらえました。)
番所跡から山王丸までの往復で1時間15分。初めてだったらもっと時間がかかったと思う。ものすごく内容の濃い1時間15分でした。

小谷城 散策ログ
小谷城 散策ログ

小谷城編 終わり


参考資料:
・長浜観光協会 小谷城を歩こう
・週刊日本の城
滋賀県長浜市教育委員会 史跡 小谷城跡 保存管理計画書


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