姫路城の天守改修施設「天空の白鷺」を訪れたあとは明石城へやってきました。
明石城 基本情報
- 種類:連郭式・平山城
- 天守:天守台跡のみ
- 主なタイトル: -
- 築城:1619年(元和5年)に初代明石藩主小笠原忠政(のちの忠真)によって徳川秀忠の命令により築城。
- 主な遺構:巽櫓、坤櫓、本丸、天守台跡、石垣
- 文化財指定:巽櫓・坤櫓 いずれも重要文化財
- 所在地:兵庫県明石市明石公園1-27
- アクセス:山陽本線明石駅、山陽電鉄本線山陽明石駅からすぐ。5分くらい
- トイレ:明石公園内に公衆トイレあり
ここが見どころ!
- 入口は立派な枡形。門があったことを想像して攻めよう!
- 階段付近の高石垣に注目!反りがたまらない♪
- 巽櫓、坤櫓は重要文化財で日本に12基しか現存していない貴重な三重櫓。冬季は中には入れないようだ。入れたらラッキー。
- 巽櫓と坤櫓にある展望デッキからJR明石駅のホームが見える。
ということは、逆に明石駅のホームからも2つの櫓が見えます。ホームからだと同じ目線の高さで見えます。
明石駅からもぜひ探してみてください! - 天守台も忘れずに。
太鼓門跡
明石城は明石駅のすぐ前にあり、駅からのアクセス抜群な駅近物件です♡。車の運転が苦手な人でもかんたんに行けるのが嬉しい。
太鼓門橋の石垣が見えてきました。なぜか白い鳥と鳩ぽっぽがいっぱい。
ここが大手門かと思ったら、ここは内堀に面していて、外堀に面した大手門はもっと南側にあり、町屋との境界線になっていました。
当時は木製の欄干橋がかかっていて、その正面に「定ノ門」と呼ばれる高麗門がありました。写真の中の人との対比を見ると、石垣の間がとても広くて、巨大な門が立っていたんだろうなぁ。ということが想像できる。
枡形を右に曲がった先には「能ノ門」という櫓門があり、その「能ノ門」には、時刻を告げる大太鼓があったことからこの桝形虎口も含めて「太鼓門」と呼ばれていました。現在は侍姿のロボット「とき打ち太鼓」として時間を教えてくれます。
当時の「時打ち太鼓」は、城の東側にある明石神社に大切に保管されていて、ガラス越しに見ることができます。
明石城は二代将軍の徳川秀忠の命令で小笠原忠真(おがさわらただざね)が築いた城。
徳川の世の中にはなったものの、まだまだ脅威に感じていた西国の諸大名を監視するために造られました。現在は「明石公園」となり、下屋敷跡は球場に、三の丸はバラ園などになり、地元の人の憩いの場となっています。
太鼓門から入ると正面に見える明石城のトレードマークともいえる二つの櫓がみえてきます。
今、いる場所は三ノ丸で、本丸、二の丸、東の丸は石垣の向こうにあります。
向かって左から本丸、二の丸、東の丸(三の丸)と連なっている縄張りは「連郭式」と呼びます。
その石垣の上に建っている二つの櫓は本丸にあり、左が坤櫓(ひつじさるやぐら)、右が巽櫓(たつみやぐら)です。
今となってはのどかな公園ですが、今いる場所の三の丸の左には居屋敷(いやしき)と呼ばれる下屋敷があり、それらは堀で囲まれていました。
その奥の本丸とまわりの曲輪たちも堀や池に囲まれているわけで、しっかりとした守りの城だったわけです。
一直線の城壁と二つの櫓。そして青空。きれいだなぁ。
この高石垣はすごいぞ。惚れそう♡
巽櫓(たつみやぐら)は三層の隅櫓です。
なぜここに日時計があるのかはわからなかったので、後から調べたら、明石は日本上旬時間となっている東経135度子午線が通っているそうで、「時のまち」としてあちこちに日時計やモニュメントがあるそうな。明石城の日時計は「兜」と一緒に作られているので、「時のまち」のモニュメントとして作られたのかもしれません。
本丸を正面にしたときの左側にある坤櫓。
本丸の四隅には櫓が建てられたそうだけど、現存しているのはこの坤櫓と本丸に向かって右側にある巽櫓のみです。
いずれも国の重要文化財。
すなわち、
- 坤(ひつじさる):未申=南西の方角
- 巽(たつみ):辰巳=南東方角
なので、「坤櫓」といえば、南西の方角にある櫓ね。というのがわかるのです。
日が暮れるまでもう少し。暗くなりつつあるが好奇心には勝てず、本丸へ向かうべく、二の丸に続く石段を登ります。
二ノ丸へ
この階段を上って二ノ丸経由で本丸に入るのです。
城跡としての見どころは2つの櫓くらいだと思っていたけど、立派な石垣が!
坤櫓、巽櫓、石垣は1995年の阪神淡路大震災の時に損傷し、2000年に修復完了したそうですが、正面の石は色が白い。この部分は積みなおしなのであろうか?
それにしても高い!
そして正面から横から狙われまくりではないか!
右に向かって登らされ、今度は左にふられる。この登った先に櫓門である「大の門」がありました。
二ノ丸にはこの「南側」入口と東側に虎口があったのですが、ルートとしてこの南側の導線が主だったんだろうな。
後ろを振り返る。このせり出したところに櫓が立っていたのであろうか。
手元の資料は未申櫓、巽櫓、天守にまつわるものしかなくて、頼りの愛読書「レンズが撮らえた幕末日本の城」を見ても二ノ丸石垣を中心にした写真が無かったです。残念。
階段を登って「大の門」があったであろう所を通過した先が二の丸。夕暮れが迫ってきているので二ノ丸散策は断念して本丸へ。
二の丸から本丸へは道幅が狭くなっていて、当時も土橋となっていました。写真の右側の広場みたいなところが通ってきた二の丸です。
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