- 2022年4月12日
- 2022年4月23日
若神子城 武田の狼煙の中継点だった城
天正壬午の乱関連の城で新府城、能見城ときたので、もうひとつ重要な城である若神子城をとりあげます。 能見城の長塁は、北条氏直が在陣したこの若神子城に対して築かれたという説もあるくらい、能見城とは目と鼻の先にある城です。 新府城があった七里岩台地の先に富士山が眺められるという絶景スポットでもあるんです! […]
甲斐源氏の初代当主である新羅三郎が築いたという伝承が伝わるが詳細は不明。
戦国時代には、甲斐と信濃の国境にあることから武田信玄の信濃侵攻の重要拠点となり、狼煙の中継点として使用された。
武田氏の軍道である「棒道」もこの城を始点として築かれている。
武田氏滅亡後の天正10年(1582年)の天正壬午の乱では北条氏直が信濃を経由して甲斐へ侵攻した際に、若神子城に本陣を置き、これに対して徳川家康が新府城に本陣を起き、北条と対峙した。能見城の長塁は徳川が目と鼻の先の若神子城に入った北条に対して築かれたという見解がある。
若神子城は北側から3つの区画で構成されている。
手前から南城、古城(大城)、奥が北城。
七里岩台地の付け根のキュッと絞られたところで舌状台地にある城。
この付近は戦国時代に武田が狼煙台を整備していて、若神子城もそのうちのひとつ。
近くには佐久往還という街道が通っていて交通の要所としてここに城が築かれたのも納得。
武田信玄が死去した後の天正壬午の乱で北条氏直が入るが、位置関係は下記の図でいうと、緑枠が若神子城、青枠が能見城、赤枠が新府城。若神子城は北条と対した徳川方の能見城とは目と鼻の先にあった。
山梨県韮崎市 能見城跡 送電線鉄塔建設に伴る埋蔵文化財発掘調査報告書
P.45 第9図 天正仁後の乱関連城郭と地域概況図(一部推定を含む)より
こちらは北と南を逆にしたGoogleマップの3D地図表示
若神子城から七里岩台地上にある能見城を経由して躑躅ヶ崎館に狼煙で連絡ができるように城を配置していることがわかる。
※新府城は武田勝頼が築いたので武田信玄の時代の城ではないが、立地の把握のために記載。
縄張図はありません。
若神子城の御城印はありません。
天正壬午の乱関連の城で新府城、能見城ときたので、もうひとつ重要な城である若神子城をとりあげます。 能見城の長塁は、北条氏直が在陣したこの若神子城に対して築かれたという説もあるくらい、能見城とは目と鼻の先にある城です。 新府城があった七里岩台地の先に富士山が眺められるという絶景スポットでもあるんです! […]