- 2022年4月3日
- 2023年10月17日
能見城 北の守りの防衛線 長塁こそが見どころな城
山梨県の城ということでこれまで取り上げたのが新府城、隠岐殿遺跡。 ・・・ときたら次はこの城を推したい。新府城とともに天正壬午の乱を語る上で重要、でも謎が多い能見城です。 能見城の基本情報はこちらをどうぞ! 能見城とは 新府城の北側の守りとして武田勝頼によって築かれたとされるが詳細 […]
新府城の北側の守りとして武田勝頼によって築かれたとされるが詳細は不明。築城については様々な説がある。
みどころは能見城の西から北にかけて築かれている長塁。
新府城に武田勝頼が入った際に合わせて作られたという説もあるが、武田氏滅亡後の天正壬午の乱で、若神子城に入った北条軍に対するために、新府城に入った徳川家康が長い防塁を築いたという説が有力。
この長塁は「諸国古城之図・新府城跡」(山梨県韮崎市 能見城跡 送電線鉄塔建設に伴る埋蔵文化財発掘調査報告書にも掲載されている)にも能見城とともに描かれていて、新府城と非常に近い場所に築かれていたことがわかる。
この長塁が長いだけではなく、ところどころで仕掛けが施されている。
残念ながら、西側は宅地化されて町中に少々残るだけであったり、私有地になっているので見つけるのは難しい。
北側は藪に覆われていて、中郭まではなんとか判別がついたが、そこから北東に伸びた先までは行けずじまいでした。
訪れる際には、縄張図(能見城測量図)持参で、「諸国古城之図・新府城跡」を事前に見ておくことをおすすめします。
能見城の山頂に行く間は遺構は残っていないが、能見城の西から北東にかけて大きく伸びた長塁の痕跡が残る。
下記の図でいうと、赤枠が新府城、青枠が能見城。七里岩台地に新府城とともにあり、新府城からとても近いところに築かれている。
山梨県韮崎市 能見城跡 送電線鉄塔建設に伴る埋蔵文化財発掘調査報告書
P.45 第9図 天正仁後の乱関連城郭と地域概況図(一部推定を含む)より
能見城の防塁は西側から北側にかけて残っていますが、西側は宅地開発で断片的に残るのみ。北側が土塁と堀が残っているのだけど、北側は藪の中で判別は難しい。
山梨県韮崎市 能見城跡 送電線鉄塔建設に伴る埋蔵文化財発掘調査報告書
P.19 第8図 能見城測量図(1/4000)より
能見城の御城印はありません。
山梨県の城ということでこれまで取り上げたのが新府城、隠岐殿遺跡。 ・・・ときたら次はこの城を推したい。新府城とともに天正壬午の乱を語る上で重要、でも謎が多い能見城です。 能見城の基本情報はこちらをどうぞ! 能見城とは 新府城の北側の守りとして武田勝頼によって築かれたとされるが詳細 […]