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能見城

能見城とは

新府城の北側の守りとして武田勝頼によって築かれたとされるが詳細は不明。築城については様々な説がある。

  • 武田勝頼が新府城の北の守りとして築城した
  • 能見城の山頂にある城址碑(代わりの看板)のそばにある「守屋一族発祥の碑」によると、新府城築城より前に築かれていた

 

みどころは能見城の西から北にかけて築かれている長塁
新府城に武田勝頼が入った際に合わせて作られたという説もあるが、武田氏滅亡後の天正壬午の乱で、若神子城に入った北条軍に対するために、新府城に入った徳川家康が長い防塁を築いたという説が有力。

この長塁は「諸国古城之図・新府城跡」山梨県韮崎市 能見城跡 送電線鉄塔建設に伴る埋蔵文化財発掘調査報告書にも掲載されている)にも能見城とともに描かれていて、新府城と非常に近い場所に築かれていたことがわかる。

この長塁が長いだけではなく、ところどころで仕掛けが施されている。

  • 西側には土塁の合間に桝形虎口
  • 北側には長塁が広がり桝形的な空間もある。
  • 西側には西郭、北側に中郭、さらに北東に伸びたところに東郭東砦と呼ばれる兵の駐屯地がある

残念ながら、西側は宅地化されて町中に少々残るだけであったり、私有地になっているので見つけるのは難しい。
北側は藪に覆われていて、中郭まではなんとか判別がついたが、そこから北東に伸びた先までは行けずじまいでした。
訪れる際には、縄張図(能見城測量図)持参で、「諸国古城之図・新府城跡」を事前に見ておくことをおすすめします。

 

能見城 基本情報

  • 築城年:天正9年(1581年)
  • 廃城年:
  • 築城主:武田勝頼?
  • 種類:平山城
  • 天守: -
  • 主なタイトル: -
  • 主な遺構:西側の土塁と桝形虎口跡、北側の長塁(土塁・空堀)と切岸
  • 文化財指定:なし
  • 所在地:山梨県韮崎市穴山町
  • アクセス:JR中央本線 穴山駅から徒歩5分
  • 駐車場:なし 穴山駅付近の広場に駐車できました(2021年現在)
  • トイレ:なし
  • 売店・食事処など:なし
  • 女子城メグラー 難易度:★★★☆☆
    穴山駅からすぐの駅近物件。城址碑(代わりの看板)まではだらだらと坂道が続くが、整備されていて歩きやすい。ところどころ足元が悪いので軽登山靴がおすすめ。
    山頂までの攻略しやすさは「×4」だが、北側の長塁は藪の中で、縄張図が無いとわかりづらい。中郭までは行けたがその先は藪がひどくてうっすらとしかわからず撤退。長塁を探しに行くならしっかりした靴を履いていくことをおすすめします。

 

能見城の遺構とみどころ

能見城の山頂に行く間は遺構は残っていないが、能見城の西から北東にかけて大きく伸びた長塁の痕跡が残る。

  • 西側に伸びた土塁の合間に桝形虎口の土塁が国道を突っ切る形で一部残っている。
  • 北側の藪をかきわけていくと切岸がすごい。また、土塁の合間に桝形的な空間もある。

能見城の立地について

下記の図でいうと、赤枠が新府城、青枠が能見城。七里岩台地に新府城とともにあり、新府城からとても近いところに築かれている。

能見城と新府城の位置関係
能見城と新府城の位置関係

山梨県韮崎市 能見城跡 送電線鉄塔建設に伴る埋蔵文化財発掘調査報告書
P.45 第9図 天正仁後の乱関連城郭と地域概況図(一部推定を含む)より

 

能見城 縄張図

能見城の防塁は西側から北側にかけて残っていますが、西側は宅地開発で断片的に残るのみ。北側が土塁と堀が残っているのだけど、北側は藪の中で判別は難しい。

能見城 縄張図
能見城 縄張図

山梨県韮崎市 能見城跡 送電線鉄塔建設に伴る埋蔵文化財発掘調査報告書
P.19 第8図 能見城測量図(1/4000)より

能見城 御城印

能見城の御城印はありません。

  • 2022年4月3日
  • 2023年10月17日

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