原城② 石垣の破却跡からかつての姿を想像しながら歩く ~島原・天草の城めぐり(6)

島原・天草の城めぐり。原城編の続きです。あまりの広さにおののきつつ、本丸正門、埋門、本丸門を抜けて本丸へ到着しました。

本丸 案内図

本丸を図解してみる。海に面した自然地形の南側に対し、東、西、北はきれいに成型されている。対幕府軍に面した西側は櫓台跡の張り出しが効いているねぇ~。

本丸案内図
本丸案内図

 

島原の乱については島原城の記事で掲載しています。

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2004年の島原城

 

本丸

本丸門を通過していよいよ本丸へ。

案内図を見ると本丸門を入って左側に「四郎家推定地」とあり、「天草四郎が最後を迎えた建物があった」と考えられていて、細川家の文書に天草四郎の所在を示す「四郎家」と書かれた絵図が残っているそうです。
そうよね。ずっと居住していたわけじゃないよね。
一応撮影したけど写真ではよくわからないので割愛します。

 

本丸に入ってすぐのところに発掘調査で出てきた「破却されたのちに埋められた石垣跡」が発掘当時のまま、露出されて残っています。

破却されて埋められた石垣の跡
破却されて埋められた石垣の跡

案内図と重なるように写真を撮った写真もあったのだけど、Aモードのまま撮っていたら光源が足りなくて後から見たらブレブレでした。お見せできずに残念。

写真左上に発掘調査で出てきた「破却で壊された石垣の石が埋められた跡」が写っています。発掘調査では石垣が壊された後の石をここに投げ込み、ついでに死体も投げ込まれていたと思われる人骨が発見されました。恐ろしや。
このように本丸の石垣は破壊され、落とされ、その上に土をかけて石垣があったことすらわからない状態にされていたという。一揆が再発したときに再利用されないように徹底的に壊されました。
発掘調査時の写真と違い、草が生えてしまったのでちょっとわかりにくい。

 

破却の跡 L字型がわかるかな?
破却後に埋められた石垣の石たち 図にあったL字型がわかるかな?

 

破却した石垣を埋めた跡と広い本丸を臨む。三の丸、二ノ丸も十分広いけど本丸も広い!
織豊期の城郭だけど近世城郭並みの本丸の広さ。

これは破却された石垣の跡のちょっと奥にあった石垣。これはどう解釈したらよいのか?
よくわからないけどとにかくすごいの一言。

 

櫓台跡

本丸の一角に張り出したエリアが。ここはかつての櫓台跡です。

原城 櫓台跡 案内板

 

原城 櫓台跡
櫓台跡

写真では張り出しているように見えないけど角度の問題です。
本丸の南西部に張り出しているところにある櫓台跡。看板の先に広がっているスペースです。「天守跡」という表現もあるけれど、三重櫓を天守の代用としていたようだ。

櫓台跡の張り出しに向かって右側(本丸門側)は平場になっていて、そこから竪穴建物群跡が見つかっています。2~3メートル四方の方形に地面を堀って、掘っ立て小屋を建てた想定される区画が9つ並んでいた跡が出てきました。このひとつひとつのスペースに1家族が住んでいたと考えられています。
島原・天草一揆が起こって籠城していたのはだけど、これらの遺構からは煮炊き用や暖をとった形跡がなく、誤って出火しないように統制が効いていたのでしょう。一揆の参加者は農民が中心だったと思われがちだけど、有馬、小西に仕えていた浪人も多く、戦の経験や兵法が共有されていたのかもしれません。
この遺構内からは陶磁器や瓦、人骨などが出土しました。これも破却の際に石垣もろとも埋められてしまったのでしょう。
それにしても南九州とはいえ、冬を火のない場所で過ごすのは大変だったろうな。

原城は「ストリートミュージアム」というアプリに参加していて、現地でアプリを使うとVR映像が見られるらしい。そのプロモーションVTRにこの竪穴建造群跡も再現されていました!

 

本丸から先ほど散策していた鳩山出丸が見える。やっぱり高いな!

本丸からその下は30メートルの高さ!いやぁ。良い位置にあるわー。

 

原城 櫓台から本丸奥を撮影
櫓台から本丸奥を撮影

あーあーあーあー。光が足りない。オートで撮るのを忘れてた。
腰巻状態になって石垣が残っているのはわかっていただきたい。

本丸に建つ十字架の塔
本丸に建つ十字架の塔

本丸に十字架の塔が建っていることに違和感があったけれど、築城当時はキリスト教関連施設が建っていたそうです。今はモニュメントや像が立っているのみ。ところどころにベンチがあって、散策の際はここで休憩してください。(駐車場からけっこう歩きますしね。)

 

みどころ:三体のキリシタン像は本丸にあります!

原城や有馬周辺のパンフや観光ガイドに必ず載っている三体のキリシタン像。本丸にあるはずだと探したのんだけど、どこにあるのかよくわからず。海に面しているはずなんだけど・・・と3人で本丸をくまなく探したら発見した!

原城 三体のキリシタン像
三体のキリシタン像

有明海に浮かぶ湯島のほうを眺めて立っていました。
目線の先にある湯島は、島原・天草の一揆民が蜂起する前に集まったという。別名「談合島」。

原城 三体のキリシタン像
原城 三体のキリシタン像

三体の像の顔が見えず、後ろ姿という演出が憎い。どんな思いでポルトガルからの救援を待っていたのであろうか。

え!?と声を出すほど小さいので十字架の塔の裏あたりを頑張って探してください。

 

原城 天草四郎像
天草四郎像

 

原城 天草四郎の墓碑
天草四郎の墓碑

 

原城 本丸から本丸門、本丸正門方面を眺める
本丸から本丸門、本丸正門方面を眺める

破却されて低くなってしまった石垣たち。あれは本丸門から本丸正門の方向ね。

補正してもだいぶい暗い。日没になってしまったので、この眼下に見える本丸の下を通って帰ります。

 

池尻口門跡を出て本丸正面 破却された石垣の迫力を一番感じられる場所へ

原城 本丸 三体のキリシタン像
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