2022年5月29日。新井城跡にて2年ぶりに道寸祭りが開催されると知り、新井城へやってきた!
油壺マリンパークがあった三浦半島の突き出ているところに新井城はあったのですが、通常立ち入れるのは西の曲輪と荒井浜周辺のみ。主郭付近は東大の研究所の敷地になっているので立ち入ることはできないのですが、道寸祭りの日だけは主郭付近に近づけるんです!
いつでも見に行ける!主郭の南側の土塁と西の曲輪はこちらから
「道寸祭り」でふだんは非公開の主郭付近の土塁と櫓台跡を見学したあとは、いつでも見学できる西の曲輪と油壷湾側のハイキングコースを散策しました。 ふだんは非公開の主郭部付近についてはこちらから [sitecard subtitle=関連[…]
新井城とは
三浦一族の終焉の城。4代目の義明、5代目の義澄とその息子の義村の時に源頼朝の源氏再興に味方し、平家討伐と鎌倉幕府設立に貢献したのは大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも取り上げられたとおり。
三浦義村が亡くなった後にその息子である泰村の時に三浦家の本家は滅び、義明の子である佐原義連(さわらよしつな)が三浦を継いだ頃に佐原盛時によって新井城を築城したと伝わる。
時代が下って扇谷上杉氏から三浦家に養子に入った義同(よしあつ)の時代に北条早雲が相模へ侵攻。居城であった衣笠城を追われ、その嫡男である義意(よしおき)とともに新井城へこもり、早雲と戦いました。
新井城へ籠って戦うことなんと3年! しかし健闘むなしく新井城は1516年に落城しました。
その後は北条方の城となりましたが豊臣秀吉の小田原征伐後の天正18年(1590年)頃に廃城となりました。
新井城は油壷湾を臨む三浦半島の先端にあり、周りは断崖という要害の地に築かれていました。
下記のGoogle Mapの図は地形が見やすいように東西南北が逆になっています。ピンが立っている「東京大学臨海実験所」が主郭で「御殿跡」と伝わっている。この一画のみが新井城だったわけではなく、「外の引橋」「内の引橋」と2つの引橋を通らないと堀切を越えて主郭には到達できないようになっている。
内の引橋の堀切は、上記の図で「横堀海岸」とプロットされているところのすぐ上で地続きになって道路が通っているところ。
外の引橋は三崎口駅から新井城までの中間地点くらいにあり、下記の画像でいうと右端のピンク線が二股になっているところのちょっと上あたり。「引橋」と地名が残っていてバス停の名前にもなっています。
城域、広すぎでしょう。
- 外の引橋 右端のピンクの道路の二股になっている上のあたり
- 内の引橋 青いアイコンが3つ並んでいるところあたり
新井城の遺構とみどころ
主郭部分は東大の研究所の敷地のため立ち入りはできませんが、年に一度、5月に行われる「道寸祭り」ではいつもは遊歩道からフェンス越しにしか眺められない空堀を間近で見ることができます。
東大地震研究所敷地内(道寸祭りの時のみ公開)
- 高櫓があったと伝わる櫓台とその周りをめぐらしている空堀
- 新井浜海岸へ出る遊歩道から眺められる空堀が間近で見られる
いつでも見学できるところ
- 「内の引橋」跡はみるからに道幅が狭くなり、堀切の名残が見られる
- 西の曲輪の北側の三浦道寸の墓があるあたりは岬のように突き出ていている。船着き場だったであろう胴網海岸を見張れていかにも海城といった感じ。
- 油壺湾側の遊歩道に入ってすぐにある空堀
- 遊歩道にある新井城の案内版のそばにある空堀
内の引橋まで来ると見どころはコンパクトにまとまっているので所要時間は小一時間ほど。工程差もさほどないので散歩感覚でまわれます。
車の場合は「京急油壺温泉キャンプパーク」の駐車場に停められます。(有料)
新井城へ
2022年5月29日。道寸祭りに合わせて三浦城へ。
最寄りの三崎口駅にある観光案内所でレンタサイクルを予約していたので、電動自転車で新井城へ向かいます。道寸祭りはコロナで2年休止していて久々の開催とあってものすごい人の多さ。
三崎口駅の会場行きのバス待ちは長蛇の列で、バスの増便が追いつかないくらい。事前にレンタサイクルを予約しておいてよかった~
台数が少ないので、ネットで事前に予約するのがおすすめです。
新井城までの道のりは、とにかく坂が多い!普通の自転車だと無理です。電動自転車万歳。
海の気配が全く感じられない道を自転車で漕いでいく。引橋バス停から新井城に向かうまでの中間地点ぐらいのところで急に目の前が開けてやっと海が見えた!
海だ~ たまたま撮った写真なのですが、よく見たら写真の左側に小山が2つ。
これは義士塚。
北条軍が攻めてきた時、三浦義意に立ち向かった北条軍の兵士4人の勇気をたたえて、義意は命を助けましたが結果として北条軍の勢いにはあらがえず、義意は命を落としました。戦死した義意に殉じて命を助けられた4人は自刃。4人を偲んで塚が造られたそうな。以前は4つあったと伝わっていますが、現在残っているのはこの2つのみ。
そこからさらに自転車を走らせると美しい造形の庚申塔が。
庚申塔は中国から伝来した道教に由来するというけど、ここの庚申塔たちはアンコールワットで見たレリーフのようにどことなくアジアンテイストなのが印象的で撮影。
内の引橋跡
油壷までもう少しというところで怪しいところ発見!
道の左側のガードレールの手前で堀跡らしきものを発見!
ここがそうなんじゃないかなと思ったけど、帰ってからGoogle Mapを見ると右側には海岸へ降りる道があり、その道から続くのはなんと横堀海岸! 横堀だったんじゃーん!
やはりここが「内の引橋」跡で、当時は堀切だったようです。
写真を撮りたかったんだけど、車と人が多くて途中で自転車も停められなかったので断念。でもこれで位置と距離感、規模感はわかった!
道寸祭りの時しか入れない主郭部へ
油壷キャンプパークの駐車場に自転車を停めて新井城の散策開始!
道寸祭りでの新井城公開は10:00~12:00という短い時間で、どんどん人が集まってくる。
といっても自由に散策できるわけではなく、10人のグループでまわります。
御殿があったと伝わる主郭はこの道の奥です。
説明の順番が来た!
主郭をめぐる空堀
東大臨海実験所に入って歩いて数分。左側に空堀、右側に櫓台が見えてきた!
横幅数メートル。だいぶ埋まっているだろうけどなかなかの大きさの空堀。
主郭の櫓台
左側の横堀に対し、道を挟んだ右側には高櫓があったという櫓台が張り出していて横矢がかかるようになっている。
ぱっと見では土塁のように見えて櫓が建っていたような平場があるとは思えなかったんだけど、下がって見たら
左にある空堀に対し、右側は└┘の字型になっていて奥のほうは空堀がまわっているように見える。
位置関係でいうと、下の写真で人が撮影しているところが空堀。空堀を左から歩いてくると右側の櫓台にぶつかるわけですね。
通路を挟んで左にある横堀、右の櫓台のジオラマ画像が道寸祭りの公式サイトにあったので紹介しておきます。
>> 未病ウォーク番外編 新井城ガイド ~道寸祭り
東大の敷地内で確認できるのはここまで。
残念ながら、空堀を歩くことはできず、近づくのもこれが限界なのですが、主郭部をここまで間近に観察できるのは道寸祭りの開催時だけなので、ぜひ見に行ってみてください!
次回は、道寸祭り以外の時でも見学できる新井城の遺構の紹介です。
>> 美しい!主郭の南側の土塁を見に行く!
「道寸祭り」でふだんは非公開の主郭付近の土塁と櫓台跡を見学したあとは、いつでも見学できる西の曲輪と油壷湾側のハイキングコースを散策しました。 ふだんは非公開の主郭部付近についてはこちらから [sitecard subtitle=関連[…]
2022年5月29日。神奈川県の三浦氏、油壺で開催した「道寸祭り」で特別公開された新井城へ。ふだんは私有地で見学ができない主郭付近の空堀と櫓台跡を間近で見てきました! 新井城を見に行ったらランチで食べたいのは三崎まぐろ!三浦はまぐろが[…]